vol.16 ●こんばんは。でもさようなら。
vol.18 ●グランドゼロの“God Bless The Souls”
2001年、9月11日。
NYが凍りついた日。
その3ヶ月後、その場所を訪れた。
グランド・ゼロと呼ばれるその場所は、その当時はまだ、瓦礫の山で、ホコリが舞い散り、壊れたビルの骨組みがむき出しになったまま、そこにあった。
警察官が警備する現場では、金網越しに巨大なクレーンがその無残に積み上げられた鉄骨をゆっくり持ち上げたリ、電気関係のスタッフだろうか、工具をもって足早に歩いていく。
そしてそこは、どこかでかいだことのある匂いがした。
そうだ。
阪神大震災の三宮周辺だ。
ホコリと、焦げ臭い匂いと、現場で働く人たちのためにしつらえられたトイレの匂い。
あれと、同じ匂いが、そこにあった。
すぐ周辺のマンションは、一見被害ないように見えるけれど、よくよく見ると、
窓ガラスは割れ、板などで補修がしてある。
避難した住人は多いけれど、まだここに住み続けている人もいるらしい、とニュースで言っていた。
ここにあった大きな建物が、一瞬にしてなくなった。
あの映像はいつ見ても衝撃的だ。喉の奥が詰まったような感覚になるし、くらくらしてくる。
あんなことがあった現場に今、たっているという現実。
しかしそこに涙はなかった。
もう立ち上がるしかないからだ。
というより、その時点で、NYはとにかく這い上がろうとしていたからだ。
NYで語学学校に通っているルームメイトが言っていた。
「9.11の直後に学校へ行ったら、先生が、
“NYは悲しい現実を抱えてしまった。みんな衝撃を受けているし、友人や家族、親族をなくした人もいるだろう。ただ、私達は、悲しんでいるわけにはいかないのだ。
それをはやく乗り越えて、日常を取り戻し、前へ進むしかないのだ”って言ったのよね。
そうだな、って思った。NYって強いよね」。
ここにくるまで、私は現場に立ったら絶対に涙するだろうと思った。
でも、その先生が言ったという言葉の意味を私も実感していた。
現場で働いた消防士を讃え、警察官を讃え、その現場で命を落としたものに敬意を払い、
残された遺族をカウントダウンに招待し・・・。
現場のすぐ近くの幼稚園では、子供達が大きな声で笑ったり走ったり、歌ったり、
街中のベンダーも相変わらずキャラメルをまぶしたピーナッツやホットドックを売りながら、
hi!
と気軽に声を掛けてくる。
NYの人たちは、とにかく生きていくという現実に向き合っているのだ。
これは、来てみてわかったこと。体感しないとわからないことだった。
現場には時折、遺族であろう人たちが金網越しに、名前を呼びかけたり、じっと鉄骨の山を眺めては、涙を目に一杯ためながらもじっと動かず佇んでいる姿を見た。
泣きじゃくるでもなく、ただただじっと・・・。
そういう悲しみもすべてのみこんで、人々は生きている。
現場の周辺には、まだまだホコリが積もっていて、ショップには商品がそのままだ。
そしてその棚から床からすっぽりとホコリで覆われていた。
日曜日だったからか、人通りも少ないストリート。
そんなとき、ふっとガラスに書かれた文字が目に入ってきた。
GOD BLESS THE SOULS
誰が書いたのかわからないけれど、
この言葉を、あのテロで亡くなった人と、その家族へ贈りたいと思います。